ごあいさつ

園 謙慈牧師*その けんじ(写真右)

牧師家庭の五人兄姉の末子として、静岡県菊川町(現在菊川市)に生まれ、幼児の時、鹿児島県奄美大島(現在奄美市)に家族で移り住み、そこで高校卒業まで育ちました。

高校3年卒業時に、聖書の御言葉(ローマ書10:9)を信じて受洗しました。浜松の某楽器会社勤務8年目に信仰に覚醒し、その年の大島泉の家での夏の青年キャンプの時に、
召命の御言葉(Ⅱテモテ2:15)をいただき、それまでなりたくなかった牧師になるべく1981年4月、東京聖書学院(東京都東村山市)に入学しました。

1985年3月、東京聖書学院を卒業し、初任地の矢板教会(栃木県矢板市)に赴任。1987年4月、壬生川教会(愛媛県西条市)に赴任。1988年4月、結婚。

四国の山の幸・海の幸の恵みと人情に浴し、第二の故郷として21年間過ごしました。2008年4月、宇都宮教会(栃木県)に赴任。その地では心身共に寒さが堪えました。

2011年4月、調布キリスト教会の3代目牧師として赴任し、現在に至っています。趣味はガーデニング、ウォーキング、DIY、将棋です。毎年、夏野菜の苗を子猫の額ほどの教会の裏庭に植えて収穫を楽しんでいます。

園 和子牧師*その かずこ(上部の写真左)

千葉県香取郡で生まれ、幼児期に東京に移り、深川、新宿、立川、国分寺と移り住み、2年半の社会人生活のあと、東京聖書学院に入学。

卒業後、長野県の松本、東京品川の旗の台、東京葛飾の亀有、静岡市の静岡梅屋町、愛媛県西条市の壬生川、栃木県の宇都宮と、各教会を歴任したあと、調布キリスト教会に赴任。母親が視覚障がい者であったことから、朗読に興味を持ち、愛媛在住の時、西条市のボランティアとして6年程活動した経験があります。趣味はクラシック音楽鑑賞です。

私が教会に来たキッカケ

T・Kさん(80代 女性)

「私の救い(キリスト教入信)の証」            

 私は1982年5月ペンテコステ[教会誕生祭]の日に洗礼を受けました。

私の両親は早死にをし、小さい時から死について考え、死を恐れていました。また、私の育った田舎では、占いや厄払いの風習があり、何かにつけて罰が当たったとか言うので、恐怖心を抱き、極度の心配性でもありました。そんな中で大人になり、結婚し、二人の子供に恵まれました。

教会の門をくぐったのは、娘の大島キャンプの説明会の夜でした。娘の幼稚園はキリスト教でした。そこで知り合った方に誘われて、娘は英語教室へ通うことになり、その先生が調布教会の故佐藤俊次先生でした。娘に四歳下の弟が生まれました。この子は生後間もなく、熱もないのに痙攣を起こし、一年間都立府中病院へ定期的に通院せねばなりませんでした。不安と心配の中で、ただ闇雲に、「神様、仏様、父よ、母よ、お祖父さん、助けて下さい!」と毎夜祈っていました。

一年後に、医師から「大丈夫ですよ!」と診断され、安堵しましたが、間もなく、今までの緊張感が緩んでしまい、心臓が止まりそうな息苦しさに襲われ、死んでしまうかもと覚悟をするほどでした。不安神経症パニック障害に罹ってしまい、心療内科に二年ほど通院しました。幼子の居るお陰で、励みになり、なんとか生活し、回復することができました。

そんな頃、他宗教の人が「聖書を学びませんか」と勧誘に来たので、キリスト教なら皆同じと思い、友人を誘って我が家で週一回の学びを始めました。文語体聖書を買ったり、諸種の関係本も数冊買わねばなりませんでした。

友人はすぐにやめてしまいましたが、私は四ケ月ほど学び続けましたが…“何か違う、何かおかしい!”という思いが湧いて、抑えきれず、やめるために、当時、日本聖公会に席をおいて、ハワイに住んでいる友人に、手紙でその旨を伝え、返事を待ちわびていました。返事には、『それは異端以外の何物でもないから、すぐにやめなさい。十字架を掲げている教会に行きなさい!』と強く諭して頂き、調布教会へ通うこととなりました。

教会生活が八ケ月を迎えた頃、江副喜介牧師(今は亡き)に洗礼を勧められ、教会員手帳をよく読むように言われ、読むごとに教会員、クリスチャンになることの厳しさ、難しさを覚え、“私には無理だ”と落胆し、悩みました。しかし今までの学びを無駄にするのも勿体ないのです。牧師先生に思いのたけを打ち明けたところ、「洗礼はスタートライン、入学式と同じだから悩まずともよい、ゴールを目指して学んでいけばよい」と励まして頂き、受洗の決断ができたのです。

私の救いにあずかる命の御言葉は、『ただ、各自は、主から賜わった分に応じ、また神に召されたままの状態にしたがって、歩むべきである』(Ⅰコリント7:17)。『主はわたしの魂を生き返らせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる』(詩篇23:3)。 ハレルヤ! 主の御名を崇めます。

T.M.さん(40代 女性)

私が初めて調布教会に来たのは今から43年前、大島キャンプの説明会に母と来たのが最初でした。キャンプ以降、教会学校に通うようになりましたが、学校では会えない友達と会えることがとても嬉しくて、メッセージを聞くことより友達に会いに教会へ通っていました。

小学校4年生になった時、母から「洗礼を受けたらどうか?」とすすめられましたが、教会学校で毎週先生方が祈って準備して下さっていたメッセージを聞いておらず、「人間を取る漁師」は「溺れた人を助ける」ことだと思っていましたし、主の祈りの「日用の糧」は月曜日には「月曜の糧」火曜日は「火曜の糧」だと思っていました。ですから神様も洗礼もよく分からず関係ないと思っていました。「教会へ遊びに行く」そんな私にある出来事が起こりました。

小学校4年生の7月、夏休み前に家で留守番をしていると電話がかかってきました。「弟さんの幼稚園お迎え途中にお母様が倒れ、今病院にいます。迎えに来て下さい。」との事でした。その時私は、「母が倒れた・・・。入院だ・・・!!!」 そして入院=死と子どもの単純な頭で思い込み、「母が死んでしまう!!」と死を身近に感じ、とても怖くなったのを覚えています。

そして数週間後、死について怖さの残る中、大島キャンプに参加した時にもう1つの出来事が起こりました。海水浴中に溺れたのです。幸いすぐに助けてもらったのですが、溺れている時、「神様、死にたくないです!助けて下さい!!」と子どもながら、必死に神様に助けを求めました。

その日の夜のメッセージでヨハネによる福音書3章16節「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」の御言葉を通して、神様は私のそばにいてどんな時も助け守って下さる事、そしてずっと怖がっていた死は怖くない事を教えていただき、神様の子どもになりたいと心から思いました。

キャンプの後、洗礼の準備に入りましたが、まだ小学生だったため1年間教会員手帳を元に江副先生と学びをし、翌年1985年12月22日受洗しました。その後、幼い時に受洗した人が通る人間関係の難しさや葛藤が山ほどありました。しかしその都度、祈り、祈られ御言葉によって支えられて乗り越えてきました。

未だに私の信仰は浮き沈みが激しいですが、今一度初心に戻り素直に真っ直ぐ歩んでいけるよう、日々祈って行きたいです。